敷引特約(敷金の額から一定の金額を控除して残額を返還する旨の特約)は有効か(結論:消費者契約法の適用対象だが有効となりうる)

敷金の額から一定の金額を控除して残額を返還する旨の特約,いわゆる敷引特約という定めが不動産賃貸借契約の際に定められていることがあります。

 賃借物件の通常損耗は,本来は賃貸人が負担する費用で,賃借人は通常損耗以外の損耗にのみ責任が発生するのが民法の原則です。

 では,敷引特約を締結した賃借人は,この特約が「法令中の公の秩序に関しない規定の適用による場合に比して消費者の権利を制限し又は消費者の義務を加重する消費者契約の条項」にあたるため「無効」と主張することはできるのでしょうか(消費者契約法10条)。

 この点,居住用建物の賃貸借契約に付された敷引特約は,契約当事者間にその趣旨について別異に解すべき合意等のない限り,通常損耗等の補修費用を賃借人に負担させる趣旨を含むと考えられます。

 その上で,原則として賃借物件の損耗の発生は,賃貸借という契約の本質上当然に予定されているものであるから,賃借人は,特約のない限り,通常損耗等についての原状回復義務を負わず,その補修費用を負担する義務を負いません。

 そうすると,賃借人に通常損耗等の補修費用を負担させる趣旨を含む特約は,任意規定の適用による場合に比し,消費者である賃借人の義務を加重するものというべきである,として消費者契約法10条前段の適用があることを認めました。

 次いで,賃貸借契約に敷引特約が付され,賃貸人が取得することになる敷引金の額が契約書に明示されている場合には,賃借人は,賃料の額に加え,敷引金の額についても明確に認識したうえで契約を締結するのであって,賃借人の負担については明確に合意されているといえます。
 そして,通常損耗等の補修費用は,賃料にこれを含ませてその回収が図られているのが通常ではあります。

 しかし,これに充てるべき金員を敷引金として授受する合意が成立している場合には,上記補修費用が含まれないものとして賃料の額が合意されているとみるのが相当であって,敷引特約によって賃借人が上記補修費用を二重に負担するということはできないといえます。

 もっとも,消費者契約である賃貸借契約においては,賃借人は,通常,自らが賃借する物件に生じる通常損耗等の補修費用の額については十分な情報を有していないうえ,賃貸人との交渉によって敷引特約を排除することも困難であることからすると,敷引金の額が敷引特約の趣旨からみて高額に過ぎる場合には,賃借人が一方的に不利益な負担を余議なくされたものとみるべき場合が多いといえます。

 そうすると,消費者契約である居住用建物の賃貸借契約に付された敷引特約は,当該建物に生ずる通常損耗等の補修費用として通常想定される額,賃料の額,礼金等他の一時金の授受の有無等に照らし,敷引金の額が高額に過ぎると評価すべきものである場合には,当該賃料が近傍同種の建物の賃料相場に比して大幅に低額であるなどの特段の事情のない限り,信義則に反して賃借人の利益を一方的に害するものであって,本条により無効となると判例では基準が示されました。

 このような判断のもとで,判例の事案では,本件敷引金の額が補修費用として通常想定される額を大きく超えるものとまではいえず,本件賃貸借契約の締結から明渡しまでの経過年数に応じて,賃料(月額9万6000円)の2倍弱から3.5倍強にとどまっていること,更新料以外に礼金等他の一時金を支払う義務を負っていないことから,本件敷引金の額が高額に過ぎると評価することはできず,本件特約を本条により無効であるということはできないと判断しています(最判平成23.3.24,条解 消費者三法108ページ)。

 また,高裁裁判例でも,敷引特約の有効性につき,以下のように有効と判断しています。

 まず敷引特約は,通常損耗についての原状回復費用を賃借人に負担させるものであるとして,10条前段該当性を認めましたた。

 しかし本件建物の賃料は,本件建物の場所,専有面積,間取り,設備等からすれば,不当に高額とはいえないこと,本件賃貸借契約締結時に保証金以外に礼金等の名目で本件賃貸借契約終了時に一切返還されない一時金の授受がなされていないことを勘案すれば,上記保証金控除額が,賃借人と賃貸人との衡平を著しく失するほど賃借人に不相当な負担を課すものとは認められないと考えられます。

 また本件賃借人は,その年齢,職業からすれば,容易にインターネット等を駆使して上記検索をすることができたと推認され,本件賃貸借契約を締結するまでに,他の賃貸建物の契約条件と比較して本件賃貸借契約が有利か不利かを検討する期間も十分あり,本件建物を賃借するか他の建物を賃借するかを熟慮のうえ選択する可能性があったと認められる,と判示しています。

 そうすると,賃借人は,本件賃貸借契約締結にあたり,その情報収集能力や交渉力において,格段に賃貸人に劣つていたとはいえないとして,敷引特約は,10条により無効ということはできず,有効と解するほかはないと判示しました(大阪高判平成21.6.19,条解 消費者三法17ページ)。

 あまりに高額な敷引特約の場合には無効となる余地がありますが,敷引特約がある代わりに礼金(契約時に賃借人が賃貸人に支払い,賃借人に返還が予定されていない金銭)支払いがなく,かつ敷引特約の金額が極端に高いという事情がなければ,おおむね有効と判断されることになるでしょう。