不法行為に基づく損害賠償債権を相殺契約における受働債権とできるか(結論:既に発生している不法行為による損害賠償債権の場合は可能)

民法509条は,

「次に掲げる債務の債務者は,相殺をもって債権者に対抗することができない。ただし,その債権者がその債務に係る債権を他人から譲り受けたときは,この限りでない。
一 悪意による不法行為に基づく損害賠償の債務
二 人の生命又は身体の侵害による損害賠償の債務(前号に掲げるものを除く。)」

と,不法行為等により生じた債権を受働債権とする相殺の禁止を定めています。

相殺は相殺権者による単独行為ですが,どんな場合であっても不法行為に基づく損害賠償債権を受働債権とすることはできないのでしょうか。

すでに発生している不法行為による損害賠償償権について,債権者と債務者が相殺契約を結ぶことは差し支えないと考えられています。不法行為による損害賠償債権もこれを自働債権とする相殺が許されるように,被害者たる債権者の意思に反しない限り相殺を認めてよいからです。同様に,双方とも不法行為による損害賠償債権である場合,単独行為としての相殺は禁止されますが,相殺契約は締結できます。

この点判例は「不法行為二因ル債務ノ相殺ヲ以テ債権者二対抗スルコトヲ得サルハ民法第509条ノ規定スル所ナリト雖モ,当事者ノ契約ヲ以テ之ヲ約スルハ法律ノ禁スル所ニ非ス」と判示しています(大判大1・12・16民録18・1038,注釈民法 12 債権 3 434ページ)。

実務上でも,交通事故等で双方に過失がある場合,双方の損害額に過失割合を乗じて算出した賠償金につき,双方が支払いをするのではなく(いわゆるクロス払い),より少額の賠償金を相殺(控除)して残額を支払うことが一般的に行われています(いわゆる相殺払い)。

この相殺払いの相殺部分は,詳しく法的性質を分析すると既に発生している不法行為による損害賠償債権を受働債権として相殺契約を締結したものと解されます。

しかしながら,将来発生するかも知れない不法行為に基づく損害賠償債権につき予め相殺契約ないし相殺予約をなすことは509条の潜脱となり,許されないと考えられます。